煎茶道ってなに?

こんにちは。

煎茶道大阪上本町教室の翼仙(よくせん)です。

今回は、「煎茶道(せんちゃどう)とは」についての記事です。

わたしもまだまだ煎茶道歴が浅いので、偉そうなことは言えませんので、あらかじめご了承いただけますと幸いです。

日本茶の歴史とは

煎茶道の歴史を述べるには、日本のお茶の歴史をさきに話すとわかりやすいです。

日本における初めてのお茶は、諸説ありますが、平安時代に最澄(さいちょう)さんや空海(くうかい)さんが、中国から茶の種を持ち帰ってきたことから一番古い説になります。比叡山延暦寺を建立した最澄は滋賀県大津市の坂本地区に茶をまき、今でも京阪電車「坂本比叡山口駅」の前には、最澄ゆかりの茶畑が”日吉茶園(ひよしちゃえん)”として残っています。

ーーー日吉茶園の基本情報ーーーー

住所:〒520-0113 滋賀県大津市坂本3丁目10

問い合わせ:077-578-6565

アクセス:JR湖西線 「比叡山坂本駅」 下車 徒歩 15分、京阪電車「坂本比叡山口駅」下車すぐ

高野山金剛峰寺を建立した空海は、奈良県南部に茶をまき今では大和茶(やまとちゃ)として、奈良県の特産品になっています。

奈良県宇陀市の佛隆寺(仏隆寺)には弘法大師が伝えたというお茶の臼が今でも残っています。

ーーーー佛隆寺の基本情報ーーーー

住所:〒633-0213 奈良県宇陀市榛原赤埴1684

拝観時間:09:00~16:30

拝観料:入山料200円

 問い合わせ先:0745-82-2457(宇陀市商工観光課)

また他にも京都栂尾(きょうととがのお)にある高山寺(こうざんじ)説や、京都祇園(きょうとぎおん)にある栄西禅師(ようさいぜんし)の建仁寺説などありますが、いずれも共通するのは、仏教僧(ぶっきょうそう)であるという点です。

お茶というのは、仏法や経典を持ちかえってきた渡来僧と一緒に、日本にはいってきたといわれています。

煎茶道(せんちゃどう)ってなに?

煎茶道とは、日本伝統芸道(にほんでんとうげいどう:茶道、華道、香道など)である茶道(ちゃどう)の流派(りゅうは)の一種で、茶葉をしようして急須(きゅうす)でお湯を煮(に)だしてお茶を淹れる流派です。使用する茶葉は多岐にわたっていて、煎茶や玉露(ぎょくろ)、茎茶(くきちゃ)やほうじ茶、紅茶までお出しします。

つまり”お茶文化”を楽しむための伝統芸道であるといえます。

はじめての煎茶道教室in大阪

茶道と煎茶道の違いは

大きな”茶道”というカテゴリーの中の1つが煎茶道ですが、その歴史から、2つの流派の違いをご説明します。

まず抹茶を使用する茶道ですが、鎌倉時代に活躍した禅僧である”栄西(ようさい)”が、中国から茶の実と点茶法を持って帰ってきました。栄西は京都祇園の建仁寺(けんにんじ:京都最古の禅寺)の境内(けいだい)に茶の実を撒き、茶葉を生産し、粉末にして飲む点茶を普及させました。

お茶にはカフェインが含まれていて、眠気覚ましに良く、またカテキンの殺菌作用(さっきんさよう)が毒消しにもなるので、ありがたくも不思議な飲み物として認識されていたようです。

その後、京都の仏教界を中心にお茶文化がどんどん広がり、村田珠光(むらたじゅこう)や武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休といった人々によって、茶の湯文化が形成されました。茶の湯文化はやがて豊臣秀吉や古田織部(ふるたおりべ)など、武士階級にもひろがり、とくに千利休が大成させた侘び茶は広く親しまれ、江戸時代には行政官として機能するようになった武士の一般教養として全国的に普及していきました。

茶道のお茶会の様子

煎茶道の歴史とは

煎茶を日本につたえたといわれる、中国から渡来した黄檗僧(おうばくそう)・隠元禅師(いんげんぜんし)は、煎茶といっしょに急須ももってきており、お茶を急須で煎(に)て、茶碗に淹(い)れるという文化がうまれました。

隠元禅師が建立(こんりゅう)した京都府宇治市にある国宝・黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の資料館である文華殿(ぶんかでん)には、いまでも隠元さんがつかっていた急須や煎茶道具をみることができます。

ーーーーー黄檗山萬福寺文華殿の基本情報ーーーーー

住所:〒611-0011 京都府宇治市34

問合せ先:0774-33-1199

アクセス:JR黄檗駅(おうばくえき)から徒歩5分、京阪宇治線「黄檗駅」下車 徒歩5分

この煎茶趣味をうけついだのが、隠元さんとおなじ黄檗僧(おうばくそう)の売茶翁(ばいさおう)です。

煎茶道中興の祖(ちゅこうのそ)を言われており、茶道の千利休(せんのりきゅう)さんのような、煎茶道の基礎となっているかたです。売茶翁は京都の市中で、市民や文化人、貴族にお茶を売っては禅を説く”売茶の業”をおこない、煎茶文化が広がりました。

そして売茶翁(ばいさおう)が、”売茶の業”をおこなっている同じ時期に、京都の宇治田原(うじだわら)の永谷宗円(ながたにそうえん)が青製の煎茶製法を開発し、いわゆる緑茶(りょくちゃ:日本茶)が大量生産されるようになりました。この動きにともない、今までは抹茶のみであった茶道の世界にも、煎茶という新しい文化が加わり、煎茶を茶道に活かすという考え方が認識されはじめたと言われいます。

そのあとに広く煎茶道という概念がひろまり、大阪の木村兼葭堂(きむらけんかどう)や明治の文人富岡鉄斎(とみおかてっさい)、文人趣味の夏目漱石(なつめそうせき)など、現代まで脈々と受け継がれるようになりました。

煎茶道っていまはどんな形で残っているの?

煎茶道は、江戸時代後期に、家元制度(いえもとせいど)が確立されていらい、全国にひろがり、現在では300以上の煎茶道流派があるといわれています。

先述した煎道の祖である隠元禅師(いんげんぜんし)が建立した黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)にはいま、煎茶道の全国組織である一般社団法人全日本煎茶道連盟(ぜんにほんせんちゃどうれんめい:京都府宇治市)の本部が置かれています。

煎茶道の流派をまとめていますが、全日本煎茶道連盟には、じつは数十の流派しか加盟しておらず、ほかにも全国にはさまざまな流派があるといわれています。例として、全日本煎茶道連盟に加盟している流派の一覧がありましたらので、そちらを記載させていただきます。

【全日本煎茶道連盟に加盟している流派一覧(2020年検索時のデータ)】

知足庵流(ちそくあんりゅう)黄檗松風流(おうばくしょううふうりゅう)愛茗流(あいめいりゅう)
日本礼道小笠原流(にほんれいどうおがさわらりゅう)薫風流(くうぷうりゅう)黄檗幽茗流(おうばくゆうめいりゅう)
松莚流(しょうえんりゅう)松風流(しょうふうりゅう:名古屋)黄檗掬泉流(おうばくきくせんりゅう)
光輝流(こうきりゅう)玉泉流(ぎょくせんりゅう)松風花月流(しょうふうかげつりゅう)
小笠原流(おがさわらりゅう)売茶流(ばいさりゅう)羽楽流(うらくりゅう)
二條流(にじょうりゅう)松月流(しょうげつりゅう)三彩流(さんさいりゅう)
方円流(ほうえんりゅう)静風流(せいふうりゅう)織田流(おだりゅう)
黄檗売茶流(おうばくばいさりゅう)黄檗弘風流(おうばくこうふうりゅう)狭山流(さやまりゅう)
文房流(ぶんぽうりゅう)東阿部流(ひがしあべりゅう)美風流(びふうりゅう)
松風流(しょうふうりゅう:富山)松香庵流(しょうこうあんりゅう)三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)
蕉風流(しょうふうりゅう) 
全日本煎茶道連盟に加盟されている煎茶道の流派(http://www.senchado.com/ryuha.html)

煎茶道を体験できるお茶会について

同連盟の会長は、先述した黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)管長猊下(かんちょうげいか)がなるのが習わしとなっており、萬福寺は煎茶道のお寺として京都では有名です。

そのため定期的に、黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)では、どなたでも煎茶道をたのしめる茶会が開催されています。

例えば、毎年5月には、全日本煎茶道連盟に加盟する流派が参加する「全国煎茶道大会」が開催されます。

また10月には、近畿の煎茶道の流派が参加する「月見の煎茶会」がひらかれます。

黄檗山萬福寺で5月に開かれる全国煎茶道大会の様子

ーーーー黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の基本情報ーーーー

住所:〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34

問合せ先:0774-32-3900

拝観料金:大人500円 中学生以下300円

拝観時間: 9時~17時(最終入場は16時30分)

アクセス:京都駅よりJR奈良線・普通電車乗車約20分 JR「黄檗駅」下車 徒歩約10分、京阪電車宇治線「黄檗駅」下車 徒歩約10分

煎茶道にご興味のある方は、ぜひ一度遊びに行ってくださいね。

また煎茶道に興味を持たれた方は、京都からもすぐ通える、大阪上本町にある煎茶道翼仙教室がおすすめです。

ぜひこちらのページも一度ご覧くださいませ。