煎茶道と宮城県仙台市その①黄檗禅宗のお寺3か所

こんにちは。

煎茶道翼仙教室の翼仙(よくせん)です。

今回は、わたしの地元である宮城県仙台市と煎茶道に関連する黄檗禅宗のお寺についての記事です。

宮城県仙台城址の伊達政宗像
宮城県仙台市と煎茶道にゆかりのある黄檗宗寺院について

煎茶道(せんちゃどう)とは

煎茶道
煎茶道のお茶会の様子

煎茶道(せんちゃどう)とは、茶道の一流派で、抹茶の茶道との大きな違いは、急須で茶葉からお茶を淹れるという点です。

日本三禅宗(さんぜんしゅう:臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)の1つ、黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の僧であった売茶翁(ばいさおう)が、江戸の文人墨客(ぶんじんぼっきゃく:中国の伝統文化に通じた文化人たち)たちに、煎茶(せんちゃ)を飲みながら禅の精神を伝えるなどして、煎茶道という精神的なものが確立されていきました。

煎茶道にかかわりのある著名人といえば、江戸時代の画家である伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)や頼山陽(らいさんよう)、明治時代の文豪の夏目漱石(なつめそうせき)があげられます。

煎茶道の祖「売茶翁(ばいさおう)」

伊藤若冲筆「売茶翁図」(ばいさおうず)相国寺承天閣美術館蔵

村田珠光(むらたじゅこう)や武野紹鴎(たけのじょうおう)が茶の湯の始祖、千利休(せんのりきゅう)が侘び茶の祖・茶聖と称されるのに対し、煎茶の祖・中興の祖と呼ばれるのが高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう:1675-1763)です。

その昔、お茶は薬として珍重されていました。中国からお茶文化が入ってきた際は漢方薬として認知されており、身分の高い人の飲み物でした。売茶翁は、上流階級の文化だった喫茶の風習を庶民にまで広めた人です

高遊外売茶翁は、佐賀市蓮池町に生まれ、黄檗宗(おうばくしゅう)の禅僧として各地を巡り、長崎で煎茶を学んで60歳を過ぎてから売茶の業(1杯のお茶を売り、禅を説くこと)を始めました。 京都鴨川のほとりには、”日本初の喫茶店”ともいわれる「通仙亭(つうせんてい)」という茶店を構えました。

煎茶道の祖「売茶翁」と宮城県仙台について

煎茶道の祖、高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)は延宝3年(1675年)、佐賀蓮池支藩の藩医の三男として誕生。11歳で黄檗宗の龍津寺に出家し、黄檗山萬福寺第4代独湛禅師に面会、僧名は月海と名乗りました。

その後、22歳で修行不足を恥じ江戸、そして仙台の黄檗寺など日本各地へ出かけたと言われています。

じつは江戸時代には、仙台藩伊達家庇護のもと仙台藩伊達家の大年寺(仙台市太白区門前町)、鳥取藩主池田家の興禅寺(鳥取市栗谷町)と、長州藩毛利家の東光寺(山口県萩市椿東)は、全国の黄檗寺の中でも寺格の高い三大叢林(そうりん=道場)として繁栄していたのです。

また仙台藩初代藩主の伊達政宗(だてまさむね)公は、侘び茶の祖・千利休(せんのりきゅう)の弟子であり、茶人でもありました。そのためお茶文化が根付いており、いまでも宮城県仙台市には、茶道の茶室が多く残されています。

煎茶道と宮城県仙台市の黄檗寺

宮城県仙台城址の伊達政宗像
宮城県仙台城址の伊達政宗像

元禄9年(1696)、第四代仙台藩主 伊達綱村公(だてつなむら)が、いまの仙台市野草園あたりにある茂ケ崎(もがさき)の地を拓き両足山大年寺と号しました。翌年、黄檗宗の名僧・鉄牛禅師(てつぎゅうぜんし)を開山始祖とし、8月、落慶の祝典を挙げました。

ここから、仙台と煎茶道を伝えた黄檗宗の歴史がはじまりました。

万里の彼方の奥州仙台に至り、開元山 万寿寺の月耕道稔(1628〜1701)に参見し、掛搭して歳を過ごし、朝から夜まで努めはげんだ。

出典:売茶翁偈語 訳注(大槻 幹郎、2013年)

仙台に入るとすぐ、売茶翁月海は、尾張出身の月耕道稔(げっこうどうねん:1628〜1701)が住持する安養寺(あんようじ)の僧堂に掛錫(※)している。

元禄10年(1697年)になって月海は月耕道稔の安養寺に入った。月耕が示寂するまでの4年間、月海は禅の修行を実践しただけでなく、大乗仏教の律学も学んだはずである。

※掛錫(かしゃく):僧堂に入門し、修行すること。行脚の雲水が僧堂に入ることを許され、錫杖(つえ)を壁のかぎに掛けることより(掛搭とも書く)。

出典:売茶翁の生涯(ノーマン・ワデル 著)

今回はそんな仙台市でいまも残る黄檗宗のお寺を3つご紹介します。

宮城県仙台の黄檗寺「大年寺」

宮城県仙台市太白区門前町にある黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の寺院です。

山号は両足山(りょうそくざん)、開山は黄檗禅宗の僧、鉄牛(てつぎゅう)国師です。本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)です。

茂ヶ崎山の緑が目立つこの場所は、伊達家歴代の名刹の旧跡です。大年寺山は、標高120mの丘陵で、仙台藩四代藩主伊達綱村がこの地に大年寺を開いたことから名付けられました。

伊達綱村以降に、伊達家の霊廟が置かれ、その霊廟をつかさどる役目を担っていた仙台を代表する名刹でしたが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)もあり、現在はこの惣門(そうもん)が唯一の遺構になります。現在ある大年寺とは新しいものだそうです。

ーーーー基本情報ーーーー

住所:宮城県仙台市太白区門前町3番22号

連絡先:TEL  022-249-6255

アクセス:仙台駅から鈎取行き(大年寺経由)バスで「大年寺」下車すぐ、もしくは車で10分。

宮城県仙台の黄檗寺「万寿寺(萬寿寺)」

万寿寺(まんじゅじ)は、宮城県仙台市青葉区にある黄檗宗寺院です。月海元昭(高遊外 売茶翁)は、万寿寺の住職・月耕道稔を訪ねて東北へ向かい、23〜27歳までの5年間(1697~1701)を仙台で過ごしています。当時、出家した僧が師の元を離れ、優れた師を求めて、行脚し修行することは珍しくなく、売茶翁はここ万寿寺で数年修行したと言われています。

1696年に、伊達家4代目当主である伊達綱村(だてつなむら)が加美町黒沢にあった安養寺(あんようじ)を廃してその宝物と本尊釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)を当地に移し創設したものだと伝わっております。

当時は周囲に15ヶ寺の禅寮を配する大伽藍を成し最盛期には修禅者500人を擁したといわれる大寺院です。

さすが黄檗三大叢林の1つ仙台市です。

ーーーー基本情報ーーーー

住所:〒981-0907 宮城県仙台市青葉区高松2丁目14−18

電話番号:022-233-3747

アクセス:JR仙山線「東照宮駅」から徒歩10分

宮城県仙台の黄檗寺「桃源院」

飢饉による餓死者を供養するため、安永3年(1774)に仙台藩7代当主である伊達重村(だてしげむら)夫人である観心院惇姫(かんしんいんあつひめ)が、黄檗宗の寺として開山しました。

宮城県仙台の名物でもある、毎年8月20日に行われている”広瀬川の灯ろう流し”は、元々ここ桃源院で飢饉供養(きがくよう)のために行われたのが始まりだと言われています。

こちらお寺のすぐ隣には広瀬川と広瀬橋があります。

宮城県仙台市の黄檗宗「桃源院」が発祥と言われる”広瀬川の灯ろう流し”

ーーーー基本情報ーーーー

住所:〒984-0816 宮城県仙台市若林区河原町2丁目14−10

アクセス:仙台市営地下鉄「河原町駅」から徒歩10分

以上まとめでした。

意外に仙台の歴史ってわからない部分がおおいですよね。

伊達家のお墓は瑞鳳殿(ずいほうでん)だと思っていたら、4代目以降は大年寺だったり、広瀬川灯ろう流しがこんなストーリーがあったりと、自分でも書きながらとても勉強になりました。

今回は仙台市と一括りにしましたが、かなり広範囲にわたって紹介しています。

お時間あるさいは、宮城県仙台市ゆかりの和菓子店で美味しいスイーツを食べて休憩しながらまわってみてくださいね。

以上

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