京都相国寺の禅僧「大典顕常」|伊藤若冲の理解者

京都の町絵師・伊藤若冲のよき理解者であった相国寺の禅僧「大典顕常」についてご紹介します。

正月のNHKドラマ「ライジング若冲」で衝撃のストーリーが公開され話題となった、永山瑛太さん演じる大典顕常(だいてんけんじょう)和尚。ドラマでは美しすぎる禅僧として、頭を剃られた永山瑛太さんが演じられています。

いままで京都の町絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)はピックアップされ有名になってきましたが、その伊藤若冲の名付け親で、最大のパトロンでもあった大典顕常和尚とは、どういった方だったのでしょうか。

今回はそんな謎多き大典和尚をご紹介します。

大典顕常(だいてんけんじょう)とは

大典顕常(だいてんけんじょう:1719-1801)とは、江戸時代に活躍した、滋賀県東近江市出身の禅僧です。

別号が梅壮(ばいそう)であることから梅荘顕常(ばいそうけんじょう)、もしくは北禅老人、大典禅師(だいてんぜんし)とも呼ばれていました。

幼少期に日本三禅宗の1つ黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)に入門、その後は京都五山に列せられる臨済宗(りんざいしゅう)の相国寺慈雲庵にうつり、1779年には相国寺113世となりました。

中国唐代の、陸羽によって著された世界初の茶の本と言われる「茶経」(ちゃきょう)の注釈書「茶経詳説」を日本ではじめてつくり、また茶神として有名な売茶翁の詩偈集である売茶翁偈語(ばいさおうげご)の巻頭に『売茶翁伝』(ばいさおうでん)を記したりと、お茶を広めることに尽力されていたそうです。

タイトルにもある通り、大典顕常は、伊藤若冲のよき理解者として、若冲をはじめ、同時期に京都にいたさまざな絵師や文化人たちを支援していたようです。煎茶道の祖として知られている高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)、大東駿介さん演じる旅好きの画家・池大雅(いけのたいが)、中川大志さん演じる円山応挙(まるやまおうきょ)など、錚々たるメンバーが大典顕常を慕って相国寺を訪れていたそうです。

大典顕常ゆかりの相国寺とは

日本三禅宗の1つ臨済宗(りんざいしゅう)の相国寺派大本山の寺院です。

室町将軍・足利義満(あしかがよしみつ)によって、当時花の御所と呼ばれた幕府の東側に創建された。

日本にある臨済宗を代表する寺院である京都五山の第2位に列されており、五山文学の中心となって、雪舟(せっしゅう)をはじめ多くの学僧を輩出しています。

五山文学とは、京都五山と鎌倉五山の禅僧たちが、中国から輸入した漢詩文や随筆を中心に、自ら書きあげた漢文学の総称です。
その漢文学を学んだ禅僧たちは、学僧とも言われ、特に相国寺の学僧たちは、中国の文学や水墨画も学び、芸術にも秀でていたそうです。

大典禅師は、相国寺113世という高僧でありながら、最も優秀な学僧として幕府より手当をうけていた五山碩学(ござんせきがく)でもありました。幼少期よりゆかりのあるお寺で、11歳で相国寺(しょうこくじ)の塔頭・慈雲院(じうんいん)で得度しました。独峰慈秀の下で禅を修行し、また宇野明霞(うのめいか)・大潮元皓(だいちょうげんこう)に儒教古学の一派・古文辞学(こぶんじがく)も学びました。

京の町絵師「伊藤若冲」とは

伊藤若冲
伊藤若冲像

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)とは、江戸時代に京の町絵師として活躍した画家です。

生まれは京都の台所として知られる錦市場(にしきいちば)。そこの青物問屋「枡屋」(ますや)の3代目当主である枡屋源左衛門(ますやげんざえもん)の長男として誕生しました。

大典顕常と伊藤若冲の関係とは。

伊藤若冲と大典顕常の関係は、かなり濃いものだったようです。

青物問屋「枡屋」(ますや)の4代目当主でもありながら、絵に没頭していた伊藤若冲は、絵師としてさらに技巧を高めるため、たびたび相国寺を代表する学僧であった大典顕常を訪ねて、書や絵画、漢字について指導を受けていたと、相国寺に伝わっています。


その深い関係をあらわすエピソードとして1765年にはあの有名な「動植綵絵」(どうしょくさいえ)や「釈迦三尊像」(しゃかさんそんぞう)を相国寺に寄進し、鹿苑寺(ろくおんじ:相国寺派の寺院である金閣寺のこと)大書院障壁画(だいしょいんしょうへきが)も制作しました。現在は相国寺承天閣美術館で常設展示されています。
また大典顕常も伊藤若冲を気にかけており、なんと伊藤若冲の名前を付けたのが、大典顕常だといわれています。

伊藤若冲の名前の由来は大典顕常?

煎茶道の祖「売茶翁」の注子には伊藤若冲の名前の由来が。
煎茶道の祖「売茶翁」の注子には伊藤若冲の名前の由来が。

伊藤若冲は30代の頃、大典顕常と出会い、禅に興味をもち、なんと相国寺の塔頭(たっちゅう)に住むことになります。

そこから参禅して「若冲 居士」の号を得たそうです。
生前に相国寺の塔頭(たっちゅう)の一つである松鷗庵(しょうおうあん)に建立した伊藤若冲の墓石には、大典の撰文による「若冲居士寿蔵碣銘」が刻まれており、若冲の根本資料としてつとに知られています。

煎茶道の祖「売茶翁」が使用していた煎茶道具「注子」

大典顕常や伊藤若冲ゆかりの相国寺観光情報

相国寺は京都御所の北側、洛中の真ん中にあり、アクセスもよく、観光地としても知られています。

境内は広く、中でも境内中心にある法堂(はっとう)はぜひご覧ください。

日本最古で最大級の禅宗寺院の法堂で、中にはいると天井には、江戸時代に狩野派が描いた「蟠龍図(ばんりゅうず)」があります。

その大きさと、にらみつけるような鋭い龍のまなざしは、見るものを釘付けにします。

ーーーー基本情報ーーーー

住所:〒602-0898 京都府京都市上京区相国寺門前町701

問い合わせ:075-231-0301

拝観時間:10時~16時30分

アクセス:京都市営地下鉄「今出川駅」から徒歩5分、京阪電車「出町柳駅」からと徒歩15分ほど

大典顕常ゆかりの相国寺にある伊藤若冲のお墓

「釈迦三尊像」と「動植綵絵」を寄進した50代の若冲は、自ら寿蔵(じゅぞう:生前に自分でつくっておく墓、生前墓)を相国寺の塔頭、松鷗庵(しょうおうあん)に建立することを決め、その墓石に刻む銘文を大典禅師に頼みました。
この「若冲居士寿蔵碣銘(じゃくちゅうこじじゅぞうけつめい)」は、若冲の境遇や学画、制作の状況を知り尽くした大典が撰文したものとして、若冲の人生を知る上での根本資料となっています。
若冲の墓の隣には、足利義政の墓が、そのまた隣には、藤原定家の墓が並んでいます。

伊藤若冲のお墓の本家は、伏見稲荷大社の近くの黄檗宗石峰寺(せきほうじ)にあります。

伊藤若冲美術館「相国寺承天閣美術館」

京都にある伊藤若冲ゆかりの「相国寺承天閣美術館」
京都にある伊藤若冲ゆかりの「相国寺承天閣美術館」

相国寺承天閣美術館(じょうてんかくびじゅつかん)は、相国寺境内の北東に位置する美術館で、1984年に開館しました。

臨済宗相国寺派の大本山、相国寺の創建600年記念事業の一環として、本山相国寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・他塔頭寺院に伝わる美術品を展示しています。鹿苑寺(ろくおんじ:金閣寺)の大書院旧障壁画である伊藤若冲筆「月夜芭蕉図」(重要文化財)などをはじめ、伊藤若冲ゆかりの作品が多く、別名「伊藤若冲美術館」と呼ばれています。

【基本情報】

住所:〒602-0898 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701

拝観時間:10時~17時

問い合わせ:075-241-0423

幼き頃、禅を学んだ黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の塔頭「華厳院」

大典顕常は、8歳で黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の塔頭である華蔵院(けぞういん)に入門しました。

黄檗山萬福寺とは、京都宇治市に今でも残る禅寺です。

「ライジング若冲」では石橋蓮司が演じた茶の仙人である高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)もゆかりのある、全国では珍しい中国様式の本堂が目を引く名刹です。

ーーーー基本情報ーーーー

住所:〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34−2

アクセス:京阪黄檗駅から徒歩5分

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