大谷焼とは?特徴や歴史、由来を解説
目次
徳島県の大谷焼について、特徴や歴史、由来を解説します
みなさんは徳島県の伝統工芸品である焼き物「大谷焼」をご存知でしょうか。
四国では愛媛県の焼き物「砥部焼」や高知県の「尾戸焼」が有名ですが、徳島県の民芸品「大谷焼」も人気を博しています。
こちらの記事では、大谷焼について、特徴や歴史、有名なな大谷焼の窯元を、解説してきます。
約5分ほどで読める内容になっておりまして、下記のような方におすすめの記事です。
- 器や焼き物に興味がある
- 徳島県に住まれている方
- 民芸品に興味がある方
- 徳島県に旅行を考えている方
大谷焼とは
大谷焼とは、徳島県鳴門市を中心に生産される陶器です。江戸時代から始まったと言われており、その歴史は230年以上あると言われています。
大谷焼は、藍染め液の容器として昔から使われていました。徳島県は阿波藍(あわあい)の製造が盛んで、藍染めの液体を大量に保存する容器が必要でした。そこで大量の藍染め液が入る頑丈で大きな容器である大谷焼が生まれました。
大谷焼の特徴
大谷焼の特徴は、大きく分けて、見た目と製法にあります。
大谷焼は、ざらしとした質感と、かすかに見える光沢感が特徴の一つです。大谷焼は陶器で、その陶土は同じ鳴門市の大麻地区で採取します。その土は鉄分が多く、焼き上げたときに鉄分が若干溶けて器全体に行き渡り、光沢感がでるようになっています。
また大谷焼は頑丈さが特徴です。江戸時代に大量の藍染めの液体を貯蔵する必要があり、鳴門市大麻町で大きな水甕(みずがめ)が生産されるようになりました。それが大谷焼で、その製法は「寝ロクロ」と呼ばれました。焼き物を作る際は手で轆轤をひいて成形しますが、大谷焼の水甕は人の背丈以上の大きさがあったため、職人が寝ながら足で轆轤をまわしていたようで、その様子から「寝ロクロ」と言われるようになったようです。
大谷焼の歴史
大谷焼の歴史は、江戸時代後期から、徳島県鳴門市ではじまりました。1780年代に、四国八十八カ所霊場の巡礼をする”お遍路”に来た豊後の国、今でいう大分県の焼き物職人の文右衛門が、鳴門市の大谷村を訪れました。そこで轆轤の技術を伝授し、大谷村で採れる萩原粘土の赤土で焼き上げたことが始まりといわれています。
江戸時代の徳島県では、焼き物は極めて珍しく、その妙技に興味を持った時の12代藩主・蜂須賀治昭公は、これとは別に南京・唐津と呼ばれた磁器を焼くよう命じ、九州より職人を多く雇い入れて1781年、大谷村に藩営の焼窯が築かれ、阿波で始めて染付磁器が焼かれることになりました。
大谷焼の窯元をご紹介
大谷焼の窯元はいまも鳴門市に残っており、制作活動を続けながら直営のギャラリーショップを運営しています。
代表的な大谷焼の窯元をご紹介します。
大谷焼窯元「佳実窯」
大谷焼窯元「佳実窯」は、鳴門市大麻町大谷にある伝統的な大谷焼の窯元です。佳美窯では焼〆陶、窯変、灰釉などによる食器、オブジェ、花器等を制作しています。手びねりをはじめ、ろくろ体験や絵付け体験もしていただくことができます。
大谷焼窯元『佳実窯』の詳細情報
大谷焼窯元『佳実窯』の所在地や営業時間をご紹介します。
- 所在地: 〒779-0302 徳島県鳴門市大麻町大谷東山谷45
- 営業時間:9時~18時
- 電話: 088-689-0172
- アクセス:鳴門ICから車で10分、最寄り駅は阿波大谷駅
大谷焼の口コミやレビュー
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大谷焼の特徴や歴史はいかがでしたでしょうか。
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煎茶道大阪教室の講師でありブログ記事の執筆者。
大学卒業後、500年続く京都の老舗和菓子屋に勤めるかたわら、煎茶道教授資格を取得。
煎茶道歴は11年以上、大阪の陶磁器・骨董店「笹船屋」にて茶会や煎茶道教室を主催。
専門や地方の工芸品、焼き物・陶磁器、民芸品、和菓子、民俗学。